2006年06月18日
父の日に、想うこと
今日は父の日です。
父の日はもともと、1910年にアメリカのワシントン州のJ.B.ドット婦人が、彼女を含めた子供6人を、男手一つで育ててくれて亡くなった父のために、教会の牧師にお願いをして、父の誕生日6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。
その後アメリカでは、1972年に父の日が国民の祝日として制定されました。
日本では、1950年代頃から広まり始めたそうです。
現在、6月の第3日曜日が父の日として制定されています。
私にはすでに父親がおりません。
私の父は平成11年12月6日に直腸がんのため、亡くなりました。
満79歳。数えで81歳でした。
私が生まれ育ったのは北海道網走郡東藻琴村字福富というとても貧しい村でした。
家は農家でした。
父親はとても働き者で、小さい頃からいつもいつも父親が働いている姿をずーっと見て育ちました。朝は午前4時くらいから、夜は8時、9時、10時まで畑仕事をし、真っ黒になって帰ってきていた父の姿を覚えています。
父親は、50歳のときに農家を畳みました。
そして畑を全部売却して、借金を引いて残ったお金で兄と姉と私を大学まで出してくれました。農家を畳んだ後は、友人のつてを頼って石川県の金沢の大和紡績という会社で紡績工として働きました。
父親が65歳の時会社が倒産し、職を失いましたが、そのまま父親は福島に行き、今度は掃除夫として働きました。
その後満78歳で癌が見つかって、そして79歳で亡くなりました。
父親はとても働き者で、また、母親をとても大切にしました。
私は小さい頃から、父と母が喧嘩しているところをほとんど見たことがありません。
あれはいつ頃だったか、私が小学校高学年の頃だったかと思いますが、私が母になにか悪口を言ったときのことです。父親は、よく理由も聞かず、大きな声で私を怒りました。
そして母を必死にかばいました。
お母さんの悪口を言うとは何事だ!
お母さんはお前たちのために一生懸命頑張ってるんだ!
お母さんの悪口を言ったらお父さんが許さないから、そう思いなさい!
おとなしい父だっただけに、その言葉の強さは、今でも脳裏に焼きついています。
父と母はとても仲良しで、2人でよく旅行に出かけていきました。
日帰りの旅行、1泊の旅行・・・
「ちょっと出かけてくるよ」と言って出かけていたのを、よく覚えています。
父親の愚痴や文句を聞いたことは、ほとんどありません。
私が父親から学んだのは、その勤勉さ、誠実さ、母を大切にするその姿だったと思います。
母は今81歳で、とても元気に人生を謳歌しています。
私の書斎の机の前には、父と母の並んだ写真が2枚貼ってあります。
2人で、どこか温泉に出かけた時のものだと思います。
寄り添い合い、こちらを向いて微笑んでいます。
2人の柔らかい微笑みが私を見ています。
お前、頑張ってるか?
一生懸命やってるか?
精一杯生きるんだぞ。
そんな父の声が聞こえてきます。
今日は父の日。
父の写真を眺めながら、父のことを想いました。
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投稿者 佐藤英郎 : 2006年06月18日 18:29
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コメント
今年の娘(7歳)の父の日のプレゼントは、手作りのうちわでした!そこには習ったばかりの書道で「考え方が変われば人生が変わる 青木仁志」と書かれていました。裏を向けると「人生が変わるうちわ!」と書かれていました。その力強い筆圧に夫と私はびっくり!ちなみに娘の夢はスタンダードコースに行き青木先生のような人と結婚することだそうです・・・。(*^。^*)アチキッズ楽しみにしています!職員一同でアシスタント希望しました!!
投稿者 明るい園長! : 2006年06月20日 19:35
ダイナミックアドバンスコースでの研修を思い出しました。
父も母も健在の今、当たり前の中にある感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
今年の父の日には、父が好きなお香を送りました。
とても、良い香りのお香でした。
大井圭一
投稿者 大井圭一 : 2006年06月20日 22:26
自分の父親は、家の中では、とても無口でいつも怒っているように見えました。だからずーっと嫌いでした。父の日に、ありがとうと、言った覚えがありません。いま、自分が父親になり、子ども達にありがとうと言われると、とても嬉しくてこそばゆい感じです。あらためて、父に感謝の気持ちを伝えます。成功の原則『自分にしてほしい事を相手にしてあげる』今すぐ、実行
投稿者 ありみず : 2006年06月20日 22:36


