2007年2月アーカイブ

青木社長が講師を務めるスタンダードコースが、
3月8日でいよいよ400回を迎えます。
ひとりの講師がひとつのコースを400回に渡って開催するのは、
日本では前人未到のことです。
16年前、第1回目のスタンダードコースは参加者5名でスタートしました。
それから16年が経ち、399回目の開催が先週終わり、
いよいよ3月8日には400回を迎えます。
今までの参加者総数は、1万6600名に上ります。

スタンダードコースでは、どうしたら誰もが目標達成することができるのか、
成功することができるのか、幸せな人生を送ることができるのかの原理原則を
お伝えしています。まさに能力開発研修の決定版です。

内容に流行廃りがあったり、最初は沢山の人が参加しても消えていくものがあったりと
これまでに無数の研修が開催されては消えていきました。
しかしながら、スタンダードコースは16年に渡って
お客様の圧倒的な支持を受け続けています。
それは、そこに伝えられているメッセージが確かなものであり、
青木社長の生き様、成功に対する強い思い、愛がこめられているからこそ、
これだけの長きに渡り、多くの受講生に支持されてきたのです。

昨日、青木社長が会長を勤められる日本プロスピーカー協会(JPSA)で、
ベーシックプロスピーカー試験の最終試験が行なわれました。
今回は2名の合格者が出ました。
お1人は浅利美千代さん。
小学生、中学生のための塾の経営者です。
もうお1人は隠崎龍治さん。
九州で「いのちの電話相談員」とネットワークビジネスをやっていらっしゃいます。

ベーシックプロスピーカーには、1次試験と2次試験があります。
1次試験は、私が考査員です。
受験者からの論文及びビデオ、DVDなどを送っていただき、
それをじっくり聴き、審査をさせていただきます。
今回は4名のエントリーがあり、2名に1次審査を通過していただきました。
そして2次試験は、論文試験及び青木会長と私の前で
30分間のプレゼンをしていただきます。
ポイントは、どれほど選択理論及びアチーブメントテクノロジーに生き、
いかに現場で実践しているか
ということです。

2007年2月19日 18:16 腹が立たない理由

私はこの10年間ほど、人に対して怒鳴ったり怒ったりしたことがありません。
「腹を立てない」と自分で決めているからです。
もちろん、腹を立てたり怒ったりしたくなることも時にはあります。
しかし、今までの私の経験では、人を怒鳴ったり、腹を立てたりして
うまくいったケースはまずありません。
その時にはうまくいったかのように見えても、後になってみると自分が間違っていたり、
相手を傷つけてしまったり、本当に伝えたいことが伝わらなかったりすることがほとんどです。

「どのようにして感情をコントロールしているんですか?」と聞かれることがありますが、
一番良い方法は、目的は何かを考えることです。

管理職になると誰もが、部下をどのようにモチベートしていくか考えます。

先日ある会社の研修をしたとき、休憩時間にある1人の管理職から質問を受けました。
「部下にどんな話をすればやる気になってくれるのでしょう?教えてください」
と彼は私に聴きました。
「何を話しているんですか?」と私。
「いや、色んな話をしてるんですけどねぇ・・・
時にはハッパをかけたり、時にはイライラして怒鳴ってしまうこともありますよ」
「それで部下はやる気になってるんですか?」
「いや、一向にやる気にならなくて、困ってるんです」

そこで、私は彼に質問してみました。
「ちょっと視点を変えてみましょうか。
あなたは、上司からどのようにしてもらえたらやる気になりますか?」
「そうですね、褒めてもらいたいですね。何より話を聞いてもらいたいですね」

「やる気のなくなるときはどんな時ですか?」
「話も聴いてもらえないで、ただ「やれ」なんて言われると、
もう頭にきてやる気がなくなってしまいますね」
「ところで、あなたは部下の話をきちんと聞いて、部下を褒めているんですか?」
「いやぁ、そうですね・・・聞いているつもりだったんですが・・・」

2007年2月 5日 20:03 わたしの原点

先週の日曜日、ふとある場所に行きたくなって、車を飛ばしました。
早稲田通りに出て、中野のブロードウェイを少し過ぎた辺にそのビルはあります。
7階建てのコンクリート作りのビルです。

わたしは34歳のときにある人と2人で会社を始めました。
研修コンサルティング会社です。
私は専務で、もう1人が社長でした。

最初の頃、私は営業、トレーナー、オペレーションなど、ありとあらゆることをやりました。
創業2年間ほどは知名度も低く、なかなか立ち行かなかったのですが、
次第に研修が評判を呼び、会社はあれよあれよという間に急成長し、
社員108名、売上も約40億の企業になりました。
上場の話もあり、自社ビルを建てないかという話も銀行から舞い込み、
そして約30億かけて、自社ビルが完成したのです。

しかし、その後、内部分裂が起きてしまい、経営が立ち行かなくなり、
結果として、その会社は私が44歳のときに倒産してしまいました。

残ったのは自社ビルでした。

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