12月6日は私の父の命日です。
父は平成11年12月6日に亡くなりました。直腸がんでした。
その日、母から私に電話がありました。
「英郎、今何してるの?」
「ちょうど研修の昼休みだよ」
「あぁ、それじゃあ忙しいね。いいかい」
「どうした母さん、何かあったの?」
「実は、父さん亡くなったよ」
「えっ?」
それは私にとって大きな衝撃でした。
一週間ほど前に、父の病院に見舞いに行ったところでした。
直腸がんといっても高齢であること、進行も遅いこと、元気であることから、
お医者さんに大丈夫だと言われており、父にも「お前はもう仕事に戻れ」と
言われたため、私は東京に帰ってきたのです。
ですから、まさかこんなに早く亡くなるとは思いませんでした。
私は12月6、7、8日と3日間の研修をリードしており、
お通夜に参加することができませんでした。
父はとても働き者でした。
北海道の網走で農家をしていましたが、50歳のときに
もう先はないと見切りをつけて農家を畳みました。
田畑を処分して得たお金で、私と双子の兄貴を大学まで行かせてくれたのです。
その後友人のつてを頼って石川県の金沢に引越し、紡績工として働きました。
ところがその紡績工場が65歳のときに倒産してしまい、
今度は福島に移り住んで、掃除夫として、亡くなるまで働きました。
父はとても実直で、何より勉強家でした。本を実に沢山読んでいました。
畑仕事の合間にも本を読んでいたのを覚えています。
私が田舎に帰るたび、父親は私と色んな話をしようとしました。
政治の話、経済の話、社会の話、その知識の豊富さに、私は時々舌を巻いたものです。
そして、父は家族を大切にしました。
働きづめの人生でしたが、私は父の人生を心から誇りに思っています。
昨日の12月10日、家族と一緒に墓参りに行きました。
毎年12月になると、6日に一番近い日の時間が取れるときに
必ず家族で墓参りに行っています。
父のお墓に手を合わせ、今の自分自身の報告、家族の報告、
そして今こうして素晴らしい仕事をさせていただいていることに対する感謝、
色んなことを父に報告をし、お参りしました。
父の声が聞こえてくるようでした。
「仕事は頑張ってるか?
家族は大事にしているか?
人様に役に立っているか?」
父に手を合わせながら、あらためて良い仕事をしていこうと心に誓いました。
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