青木仁志 Satoshi Aoki×三浦雄一郎氏 Yuichiro Miura

「目標達成の喜び」特別対談

志、あこがれ…目的に生きる人間力

三浦僕の場合は、初めはスキーが好きで、できたらスキーでオリンピックに行ってみたいと思った。でも、行けなかったんです。それから南極の第一次越冬隊に参加したいと思ったが、これもあっという間に振られてだめ。それから海外留学したいと思ってフルブライトに応募したがだめ。最初、自分で目標だと思ったオリンピック、南極、留学、全部がだめだったんですよ。
それで、しばらくは学問の道へ行こうと思った。僕は北海道大の動物というか獣医なんですけれども、薬理学の研究室の助手になって、東大の医学部から来た助教授の下についてスタートした。夢だけはね、将来はノーベル医学賞という感じで。でも、そのまま助教授、教授となるわけですけれども、物足りないような気

三浦氏 青木

もしてきたわけです。
もう一つ、追い切れなかったね。やはりスキーで世界一になってみたい。で、またオリンピックを目指したんだけれども、とっくに遅い。20代前半だね、やっぱり。でもいいんじゃない、これからやったって、と。僕は日本チャンピオンを獲れなくて、日本一になれなくて、でも世界一になってもいいじゃないか、と。自分で勝手にそう思い始めたわけです。

- 能力開発の専門家としての青木さんの目からごらんになっていかがですか。

青木いやもう、先生は目的に生きていらっしゃると思うんです。自分の、本当の生きる目的に、生きていらっしゃる。まさしく、ザ・ファーストという生き方。

意識変革がカギ

- というのは?



三浦例えばですね、登山の世界で言うと、エベレストに初めて登った人はヒラリーです。2番目は僕も分からないです。これがザ・ファースト。
僕はスキーの分野で競争して、日本選手権、プロレース、スピードレースということで、世界のトップレベルでやってはいたのですが、1位にはなれなかった。
ベストテンに入るくらい。だったらスキーの分野、登山の分野で誰もしなかったこと、考えてみなかったことをやってみようと。それで富士山からパラシュートと

か、エベレストからの滑降とか、そんなことをやっているうちに、あいつは何か変てこなことをやっていると、いうことで、世界で名前が売れていった。もう一つ、追い切れなかったね。やはりスキーで世界一になってみたい。で、またオリンピックを目指したんだけれども、とっくに遅い。20代前半だね、やっぱり。でもいいんじゃない、これからやったって、と。僕は日本チャンピオンを獲れなくて、日本一になれなくて、でも世界一になってもいいじゃないか、と。自分で勝手にそう思い始めたわけです。

青木それは志、ということでもあるのではないか、と思います。三浦さんは志が常人にはなく高い。
私も今、いじめや差別のない明るい社会をつくりたいという志を持っています。わが社は110人ほどの、これからの企業体なのですが、非常に志の高い若者たちが、おかげさまで2万人近くも入社を希望してくれる。なぜかといえば、それは皆の志が実現できそうな組織ということではないかと思います。


- 一方、今の日本社会に志や夢がどこまであるのかな、とも思えます。内向きとか、縮小志向、デフレ、いろいろといわれていますが。

青木私がチャレンジしていることは、経営者の意識変革です。会社そのものを人材を育てる箱にしていく。つまり、人の中に内在する可能力をいかに引き出すことができるか。これこそが、日本の再建のカギになると信じている。
自分中心のことだとすぐ情熱も冷めてしまうんですよ。ちょっと小金をためるとすぐ目的を忘れて遊びほうけてしまう、そんな中小企業の経営者もいっぱいいるわけですよ。僕の夢は中小企業経営の大学院をつくることなんです。70億円あればつくれます。だから、元は溶接工だったんですけど、今はずいぶん志が高くなった。